――まずお二人はどんな出会いだったのでしょうか?
宮原賢児との出会いはサーフィンだよね。まだそんなに親しくないころに二人で海に行って。
小橋7、8年前ですね。僕、当時クルマを持ってなくて。
宮原じゃあ迎えに行くよ! っていって南房総に行ったんだよね。で、お互いサーフィン熱が強い時だったから、それからバンバン行こうよって。
小橋あの頃ってすごく体を鍛えてて人生で一番元気だったんです。でも実はその数ヶ月前まで体がボロボロでもう最悪の状態で。30歳になる直前で、仕事もなくてお金もなくなっちゃってもう真っ暗闇の中にいたんです。そのうえ肝臓を壊してて、お酒全然飲んでないのに。それで体を鍛えて病気治そうって。
宮原本当? それは知らなかった。
小橋そうですよね。「人生、男は30歳から」って思っていたのに人生どん底でした。それでもう一回やり直すには、馬鹿みたいな目標でも立てなきゃだめだなって思ったんです。じゃあ自分の誕生日をイベント化してオーガナイズすれば、お金も集められるしいい場所だって借りられるって考えました。それが後のイベント制作会社につながるんですね。
――いまでは『ULTRA JAPAN』や『STAR ISLAND』という巨大なイベントのプロデュースを手がけています。そんななかで日々のインプットやリフレッシュはどうしていますか?
小橋傍から見て華やかなものをつくることって、華やかなものだけを見ていれば出来るのかっていうと全然そうじゃないんです。イベントで人が喜ぶっていうことは、実は心が動くってこと。じゃあどうして動くのかっていうのは、自分なら何に心が動くのかってことを理解していないと、ものをつくり出すって難しい。「中道」っていう好きな言葉があります。両極を知るからこそ、真ん中の道を知るって意味です。自分が普段いる場所とまったく反対の場所に身を置くと本当に自分がしたいことがわかるんですね。だから意識的に海や山という自然の世界に身を置くようにしていますね。
宮原そうだよね、本当に。『ULTRA JAPAN』や『STAR ISLAND』こそが小橋賢児だって思っている人は多いだろうね。でも、やっぱりそういう振り幅がある人に魅力を感じるし、自分もそうでありたいと思う。僕も、青島ビーチパークみたいに宮崎の良いところを紡いでいく、一方でそれをちょっと変えてみようとして東京っていう都会に行ってみる、って感じで行ったり来たりだもんね。
小橋僕はヒデさんの宮崎と東京を行き来する生活ってめちゃくちゃ羨ましいです。でも、羨ましいっていうのは誰でもできるんですけど、実際に行動に移せる人ってなかなかいないじゃないですか。
宮原そう。よく東京の知り合いが宮崎に来ると、こんな生活羨ましいって言われるけど、じゃあやったらいいよ! って思う(笑)
小橋僕、行動は誰にでも出来る錬金術だって思ってるんです。あれこれ考えるより行動すれば、時間は掛かってもその先に必ずその意味が出てくる。目標を立てて何かになろうっていう人生もあるけれど、その場その場で感じたものを紡いで未来が出来上がっていく人生もあると思います。青島ビーチパークも、ヒデさんが思い描いたイメージとそれを現実にできるってことが繋がっている気がしますね。