コーヒーには、
人のある景色をつくる力がある

靜勢 里奈 uminoieヘッドバリスタ / コミュニティマネージャー

青島ビーチパークにおけるコミュニティの拠点として、多くの人々を集める役割を担う「uminoie」。緻密な焙煎工程を経て徹底的に管理された豆から、一杯一杯抽出されたエスプレッソでコーヒーを提供している。海上がりに温かいラテを求めるサーファーたちの姿や、アイスコーヒー片手にパラソルの下で仕事に打ち込むビジターの姿。通年になって1年を経て、青島ビーチパークに新しい日常が生まれようとしている。バリスタが淹れる一杯のコーヒーが、青島という景色を塗り替えていく可能性に触れてみよう。

靜勢さんがバリスタを目指したきっかけを教えて下さい。

靜勢

ダンサーを目指してロサンゼルスに住んでいた時期があったんです。まず、朝起きるとコーヒーを買ってダンススタジオに行く。そして帰って洗濯なんかして、またカフェに行ってからレッスンを受けるという生活を送ってたんです。ところがコロナ禍で帰国せざるを得なくなって。日本に帰る飛行機のなかで、ダンスを諦めるならバリスタになろうって思ったんです。空港で荷物受け取る頃には、面接を受けるために電話をかけてました(笑)

アメリカのコーヒーカルチャーを浴びて帰国したのですね。

靜勢

いまコーヒーそのものも好きだったんですけど、向こうのコーヒーショップで働いてる人たちが格好良かったんです。「どうしていまロスにいるの?」とか「明日のレッスン何時から?」とか、英語が全然喋れなかった私でも迎え入れてくれる空間でした。日本だと「レジ袋いりますか?」みたいな決まったやり取りしかないですよね。そうした接客の違いを強く感じました。

宮原さんには、コーヒーが日常に溶け込んでいると感じることはありますか?

宮原

僕にとってコーヒーを飲む機会ってサーフィンの後なんですよね。海上がりにビーチで仲間が入れてくれるコーヒー。海で波乗りして帰るだけなんてもったいないんですよ。だから海で過ごす日常のなかにコーヒーがあるって感じです。

そうしたライフスタイルが青島ビーチパークのカフェのありかたに影響しているのでしょうか?

宮原

きっかけとしてはそうですね。海で過ごす時間をもっと豊かなものにしようとしたときに、コーヒーももちろん含まれるけど、カフェとお客さんのコミュニティみたいなものが必要だと思い描いたんですね。それで9年前の初年度はボンダイカフェに来てもらったんです。

靜勢

私は2020年にはじめてビーチパークを訪れたときに、ここならもっとコーヒーのことを伝えられるって感じました。コーヒーってとても繊細で、毎日の天候や自分のマインドといったいろんな要素に合わせてすごく微妙な調整が必要なんです。そこに海というロケーションや接客という要素が全部組み合わさって最高の一杯が出来上がる。そんな深いカルチャーを伝えていけたらという想いでスタートしました。

そうして始まったuminoieですが、オープンして1年を迎えました。手応えはどうですか?

靜勢

1年目ではまだまだ考えていたような形にはならないですよね。でも思い描いたイメージをスタッフに託していくと、みんながそれぞれビジョンを描いて動いてくれるようになったので、やっとコーヒーにフォーカスを当てたお店にできたかな、と感じています。

宮原

リーダーとしてチームビルディングしていくこと、バリスタとしてクオリティを上げていくこと。チャレンジの2年目ですね。

靜勢

そうですね。マニュアルをつくるようなチーム作りじゃなくて、スタッフそれぞれの色で接客ができるようなスタンスでありたいと考えてます。そうして私たちがお互いを称賛し合えるようなuminoieだから、お客さんとのコミュニケーションが生まれるんだって思います。あとはバリスタとしての価値を高めることですね。コーヒーって、遠い国で豆を栽培している人たちや焙煎する人たちから届けてもらって、やっと私たちバリスタがお客さんに出せるんです。そこあるストーリーも一緒に伝えていくことで、日常にコーヒーを取り入れる人を増やしていきたいですね。

宮原

青島ビーチパークが通年になったタイミングで、ここまでコーヒーというものに強い思いを持っている人たちがいるのって大きなことですよね。彼女たちはコーヒーを日常にすることで、日々が豊かなものになるって考えている。僕はずっと一年を通して海で過ごすスタイルが生活を豊かなものにすることができるって考えていたんですが、海とコーヒーの足し算で、さらに豊かな景色を描けることですよね。9年目で大きな転換期が来たなって感じました。

靜勢

やっぱり海辺でコーヒーを飲めば美味しく感じるんです。青島には、そういうコーヒーカルチャーがある場所になって欲しいし、そのきっかけが青島ビーチパークのuminoieだったって後に言われたら嬉しいですよね。そうなるのはずっとずっと先だろうけど、出来ることを地道に積み重ねていきたいと思います。

靜勢 里奈

uminoie ヘッドバリスタ / コミュニティマネージャー

1998年東京都生まれ。幼少時からダンスに打ち込み、2016年3月に開催された世界大会、Miss Dance Drill Team Internationalでの優勝を機に留学のため渡米。ロサンゼルス滞在中に現地のコーヒー・カルチャーに触れた経験から、帰国後はバリスタを目指す。理想のカフェとライフスタイルを模索するため全国各地を旅行し、2022年宮崎県に移住。uminoie設立時からバリスタとして、店舗プロデュースや運営を担当する。

宮原 秀雄

AOSHIMA BEACH PARK 統括ディレクター / 株式会社Libertyship 取締役CSO

1973年山口県下関市生まれ。関西学院大学卒業後、博報堂へ入社。17年間アカウントプロデュース職を務める。その後独立起業し株式会社CANVASを設立。各種ブランドやクリエイティブのディレクション、新しいコミュニティのプロデュースを行う。2015年夏のAOSHIMA BEACH PARK創業より総合プロデューサーと統括ディレクターを務め、2020年10月にLibertyshipの取締役に就任。

vol.11 2023

Photpgrapher

Kimiyuki Kumamoto
Kenta Sakamoto

Writer

Satoshi Ogura

Assistant Producer

Junko Shimadate
Kentaro Niimoto

Art Director

Osamu Goto

Producer/Director

Hideo Miyahara

Publisher

Libertyship Inc.

名古屋のスタイルマスターが
手探りで始めたデュアルライフの現在地

PIPPEN 鈴木 俊介 PIPPEN STORE.ORIGINAL ブランドマネージャー

PIPPEN STOREといえば、東海エリアを代表する名古屋のサーフショップ。そのファンは全国に拡がり、クラシックなサーフカルチャーに新しい価値観を見出すスタイルに影響を受けるサーファーも多い。そのアイコン的存在であり、ロングボードのスタイルマスターとして知られるPIPPENこと鈴木俊介氏が、宮崎と名古屋を往復する二拠点生活を開始して3年が経過しようとしている。デュアルライフによる新しい生活、自身と家族の変化。その実際をありのままに語ってもらった。

名古屋と宮崎はどんなペースで往来しているのでしょうか?

PIPPEN

基本的には宮崎からのリモートで、ひと月のうちに1週間から2週間くらいが名古屋に行く、という感じでしょうか。PIPPEN STOREにはスタッフがいて、運営会社のメンバーもサポートくれるので、現地の実業務は任せてることが多いです。二拠点と言っても自宅を構えている宮崎に移住という感覚が強いですね。

看板であるPIPPENさんが店頭に立たない状況で、店舗運営の難しさはありませんか?

PIPPEN

いま任せている女性スタッフのキャラクターやスキルに助けてもらっているという面はありますね。ただ、この5,6年は僕からものを買うというよりも、PIPPEN STOREが提案するライフスタイルにお客さんがついて来てくれている実感がありました。それが宮崎に拠点を置くことを後押ししてくれたと考えています。

何が宮崎に住みたいという気持ちにさせましたか?

幸菜

やっぱり海が近かったり、空港が近かったりというアクセスの良さですね。あとは知り合いも多かったので、宮崎で暮らすのはとてもポジティブなイメージでした。PIPPENは、新しいことに進んでいくのが好きなタイプなんですが、いろんなタイミングが重なったように思います。

PIPPEN

もともとPIPPEN STOREは、サラリーマンとして運営していたんでオーナーがいたんですけど、コロナ禍の少し前に他界されてしまったんです。10年以上のお付き合いで、出店を後押ししてくれたり利益を出すことを教えてくれたりした方がいなくなったこと、そしてコロナ禍が重なったこともあって悶々としていた時期がありました。そこから何か新しいステップを踏むために、デュアルライフをしながらPIPPEN STOREを続けていくことを選びました。いまは会社を辞めて個人事業主としてお店を支えるかたちです。

宮崎と名古屋を行き来する生活が始まって3年、ご自身やご家族の変化は?

PIPPEN

やはり子育てですね。こっちでは家にいる時間と外に出る時間が逆転したので、子どもと一緒にいる時間が長くなったことが大きな変化です。これがデュアルライフで一番望んでいたことだったと思います。それと宮崎だとサーファー以外の様々な人たちと繋がることが多くなったので、いろんな拡がりを感じていますね。

幸菜

コンパクトで、みんなとの距離も適度に近くてコミュニケーションを取りやすいのが宮崎の良いところですね。私は名古屋では結婚を機に仕事を辞めていましたが、宮崎でパワフルな女性たちに出会うことで自分のやりたいことをサポートしてもらいました。『QUARTER』という女性のサイクルに寄り添う吸水ショーツのブランドを立ち上げたんです。

PIPPEN

彼女はパソコンなんかも苦手だったのに、こっちのビジネスプランコンテストでグランプリを獲得したり、クラウドファンディングも達成したり。家族で一番変化があったのは僕よりも妻ですね(笑)ちゃんと出来てるかわからないけど、僕は子育てなんかで彼女の活躍をサポートできればと考えています。

仕事と家庭のバランスが整ってきたということですね。

PIPPEN

宮崎と名古屋というバランスについてもいろんな人に羨ましいと言われることが多いですね。宮崎だとサーフィンにゴルフに、山や川も楽しいことが近くにいっぱいありますよね。名古屋に行けば思いっきりフルスイングで仕事に没頭できるので、そのスイッチがいいのかなと。

今後の展望や希望を教えてください。

PIPPEN

もっと仕事でも宮崎に関われるんじゃないかという気持ちはありますね。今はまだふわっと行き来しているPIPPENという感じなんです。それにはメリットもデメリットもあるんですけど、僕としてはもっと宮崎に貢献したい。例えばコミュニティスペースのような「場所」を作りたいですね。PIPPEN STOREのお客さんも遊びに来てくれて、地元の人との深い交流が生まれる。そんなことができると僕も「宮崎の人」になれる気がします。

PIPPEN 鈴木 俊介

PIPPEN STORE. マネージャー

1978年 愛知県生まれ。世界中のサーフィン大会から招聘される日本を代表するロングボーダー。学生時代からサーフィンに打ち込み、2011年に開催された『シングルフィンオールスターズ』では日本一に輝く。2010年から新しいビーチスタイルを発信する人気サーフショップ『PIPPEN STORE』を運営。 2021年、家族で宮崎県に移住。宮崎と名古屋を往復する二拠点生活を送りながら、『PIPPEN STORE』のブランドマネジメントを手掛ける。妻である鈴木幸菜氏は同じく愛知県生まれ。アパレル業界での経験を活かし、女性のための吸水ショーツブランド『QUARTER』を立ち上げる。

vol.12 2023

Photpgrapher

Kimiyuki Kumamoto

Writer

Satoshi Ogura

Assistant Producer

Junko Shimadate
Kentaro Niimoto

Art Director

Osamu Goto

Producer/Director

Hideo Miyahara

Publisher

Libertyship Inc.