青島の過去、現在、
そして未来へ

長友 安隆 青島神社第二十代宮司

青島は昭和30年代後半から50年代の初頭までは、新婚旅行ブームということで多くの来訪者で賑わい、当時宮崎県は国内観光の象徴でした。しかし、気軽に海外旅行に行けるようになったことで観光客が分散化し、平成2年をピークに来訪者が減少しているのが現状です。

そこに今回、宮崎市主導で青島を活性化する計画が持ち上がり、地元としてもなんとか青島をもう一度盛り上げようと有志の若者が集まりました。

最初に注目したのは、青島海水浴場です。多いときで年間130万人ほど来ていたのですが、徐々に減って20万人、そしてついに昨年は過去最低の約7万人にまで落ち込みました。台風が多かったのも要因ですが、この海水浴場自体に人を呼ぶ魅力が少ないのではないかという結論に行き着いたのです。

ビーチパークは、青島の最大の武器である海の魅力を感じながら、少しでも長く滞在していただきたいとの想いから生まれました。

昔は青島にも海の家があったのですが、約30年前に廃止されて以来そういう場所がない状態でした。以前あった海の家を現代の皆さんに喜んでもらえるかたち、それがビーチパークだと思っています。

青島に来る人が、ゆっくり気持ちよく過ごせるような場所にしたいというのが地域の一番の想いなので、お茶を飲みながら食事をとっていただきながら、青島の潮風や景色を一緒に楽しんでいただきたい。そして、来訪される方だけではなく住民自身も楽しめる場所として活用していきたいと考えています。

ビーチパークがひとつひとつ作られて行く過程を見ていると、これからの青島の未来を見るような気分です。青島の可能性を感じながら、地元としても一つ一つ頑張っていくという象徴になるのではないでしょうか。青島は移住者が多いところなので、違う文化や概念が共に自然と交わっていく、ビーチパークがそういう交流の場になればと思っています。

長友 安隆

青島神社第二十代宮司

1975年宮崎市生まれ。青島神社で代々宮司を務める社家の家系に生まれ、幼少時代から青島で育つ。高校卒業後、進学のため上京。祭礼の知識や祝詞の基礎を学んだのち、明治神宮で2年間の奉仕。2003年に帰宮し、翌2004年に青島神社20代目の宮司に就任する。神職として青島神社を執り仕切る傍ら、青島商工振興会の会長として地域の振興にも力を注ぐ。

世界一安心安全なビーチへ

藤田 和人、南部 孝二、小田 浩数 青島ビーチセンター渚の交番

我々のミッションは、この海を世界一安心安全、きれいで楽しい場所にしようということです。そして最終的に、海を守り後世につなげていくということなので、海の生き物を学ぶイベントやライフセービング教室を子供たちに行うなど、人材の育成にも力を入れています。

次世代を担う若い世代にもっと海を大好きになってもらって「海を守って行くぞ」、「地域を盛り上げて行くぞ」みたいな気分にしていく機運の第一歩としてビーチパークという試みに期待しています。

藤田 和人、南部 孝二、小田 浩数

青島ビーチセンター渚の交番

全国で初めて設置された海辺の総合管理施設、「渚の交番」を管理。海辺のパトロールからその環境を守る活動、またマリンスポーツの普及までその活動は多岐に渡ります。

心を開き楽しんで
帰ってくれる場所に

鬼束 功次郎 宮崎サーフガイドHIMAWARI

宮崎は全国的に見て、波が豊富なサーフポイントだということはよく知られていました。だけど、各地のカルチャーの違いでサーファー同士がぶつかってもう2度こなくなってしまったり…食事はコンビニで済ませていたり…と宮崎の魅力が充分に伝わらない状態がありました。

また、宮崎の砂浜は実は年々浸食されてきています。そんな現実を伝えたい、宮崎の海から広がり世界の自然を守れたら、と考えるようになりました。そこで12年前に始めたのが、サーフガイドです。

宮崎の海の現状を伝えながら、1人1人のサーファーに合う海や宮崎の食事スポットなどをカスタマイズしています。もちろん堅い話だけではなく、宮崎の海でみんなの心を解放してくれるように体感していただいています。青島は、私が幼いころは観光地としてとても盛り上がっていました。

あの頃のように、環境を守りつつも、心開いて楽しんで帰ってくれる場所になっていってくれればと思っています。そして、それがずっと続いて欲しいですね。

鬼束 功次郎

宮崎サーフガイドHIMAWARI

ビーチパークで過ごす
心地いい時間

宮原 秀雄 青島ビーチパーク コンテンツプロデューサー

ビーチカルチャーと聞くと、サーファーとかが楽しむものと思われがちだけど、特別なことではなくて、犬と散歩をしたり、家族でゆっくり過ごしたり、ビーチのそばで思い思いに過ごせる、ってことだと思っています。だから、興味があれば毎日でも来てほしい。それがスタイルになって習慣になって、カルチャーにつながっていく。ビーチパークが発信するものに触れて、自分なりの解釈の中で、自分なりの居心地の良さとか快適さを思う存分楽しんで味わってほしいなって。そして来た人が「もっとこれをみんなに伝えたい」とか「僕もやってみたい」と思ってくれたら、嬉しいですね。そういう「人」のポテンシャルが宮崎にはあるし、すでに興ってきているんだと感じます。

行政の人や住んでいる人、お店の人もそうだけど、青島で何かやりたい、青島を盛り上げたいという思いに共感して、青島本来の魅力である海を感じながら楽しめる内容を考えました。そういう意味でビーチクリーンや、ビーチヨガは、重要な位置付けになっています。ストライダーやボルダリング体験は、ファミリーにも楽しんでもらえるイベントってことで積極的に組み込みましたし、それがこだわりでもあります。

そして、何より今の僕にできることは、東京や福岡など都市圏に住む人たちにむけて、「宮崎なんかかっこいいことやってるな」とか、「宮崎にこの夏ちょっと行ってみる?」と思って頂くこと。県外の人が来ることで、宮崎の人にとっても刺激があると思うし、新しいコミュニティと交わることで化学反応が起きる。そうやって生まれた何かが来年再来年ってどんどん広がっていけば嬉しいです。

宮原 秀雄

青島ビーチパーク コンテンツプロデューサー

(株)キャンバス 代表取締役
博報堂でアカウントプロデュース職を17年間務めたのち、独立起業。今年1月には家族で東京から宮崎に移住、自然と向き合いながら、自分らしく本質的に豊かなライフスタイルを追求している。

vol.01 2015 07/04-8/30

Photpgrapher

Tomohiko Taniguchi

Writer

Michika Watanabe
Asuka Abe
Mai Hidaka

Art Director

Osamu Goto

Producer/Director

Hideo Miyahara